今週は仕事のことしか考えられない。と思ったら、父の誕生日は3日でした。ひな祭りなのにね。父との思いででも語ろうかしら。
私だけの思い出なので長いし面白くないです。でも書きたいからね。
3日で60歳。還暦です。なので、65まで働ける職場ですが、もうこれ以上はということで今月末で退職します。
就職してからずーーーーーっと同じ職場で、転職もなく、職業的にストレス満載な業種で42年間。それだけで私は胸がツーンとなるわけですが、それもこれも私たち家族を養うことを第一に考える父の生真面目な性格からきているんだろうと娘の私は予測するわけです。だからツーンとします。
父は本当に潔癖で真面目で真っ直ぐな性格で、厳しかったんですよ。本当に。今や虐待かと疑われるだろうなと思うような平手打ち、背負い投げ、内股(柔道黒帯なんで)なんていうのは当たり前で、悪いことしているからものすっごい反省しますけどね、食べるときにテレビ見るなとか、箸の持ち方がなってないとか、朝夕の挨拶はしっかりやらないとダメだといって中学3年までお父さんには三つ指ついて「おはようございます」「おやすみなさい」と言っていまして、今考えれば人間として当たり前のことを教えてくれていたんだなーと思えますが、その当時は「なんでうちだけこんな家なんだ」とか思っていました。
それで高校生くらいから絵に描いたように私は反抗期を迎えるんですけど、タバコ、飲酒に始まって深夜家を抜け出して遊び朝親が起きる前にかえる(ここが気が小さいなと思います。普通なら帰ってこないだろうに)そして挨拶もしないし話もしない。そんな今思えばバカらしい反抗をしてしまうんですねー。父からしてみれば辛かったと思います。本当、憎たらしい子供でした。
そんな感じて季節は過ぎて就職の時期になります。(飛ぶね、話飛ぶね)就職もしたくないし、親に紹介された職場で働くなんて監視されているようでたまらない、実家にも帰りたくない、なんていうか中途半端になんでも嫌だったんです。先が見えないのに、夢がないということが自分でも分かっていて何に向かって自分を進めていけばいいのか分からなかったんですよ。(若いー)
ある日、普段話すこともなくなっていた父が「話いいか?」と私の部屋へ入ってきまして、もちろん私は「入ってくるなよバーロー!」的な感じでドア前での攻防が始まりまして、何分かすると「ごめんな、ごめん」と泣き声が混じっている言葉が私の耳に入ってきました。?なんでお父さん泣いてるんだ?
あの厳格な父が泣いているという事実に私も動揺しまして、ドアを開けたんです。そしたらそこに座り込んだ父が私に向かって泣きながら「お父さんはただおまえが心配なだけなんだ。小さなときからおねーのお下がりばかりで、我慢ばかりさせて、でもな、子供は全員大事だから、心配なのも同じだから」と話していました。
ドラマだったらここで「お、お父さん!!(泣)」とか言って抱きつくんでしょうが、そのときの私はそれ以上に自分のために普段なら絶対に泣かないと思っていた父が泣いているという事実に吹き飛ばされてしまい、なんていうか無の状態っていうんですかね、何も返事をしてあげられなかったのです。
でも小さなころからずーーっと思っていた「おまけで出来た子供」(おねーと弟がいますからね)という意識は少し軽くなりました。
そこから少しずつ、少しずつです。きっと今でもお互い遠慮があって、何でも言い合えるわけではないですが、私は父がいたから安心して反抗できたんだろうし(なんか変な理由ですが)、私が働きだしてから父がどれだけの苦労をして私たちを育ててくれたかがほんの少し分かってきた気がします。
こんなことを書いておきながら、父の好きな部分苦手な部分はありますよ。だってあまりに真面目すぎて冗談が通じないから話は面白くないし、未だに厳しいですからね。おまけに髪型は七三ですし。でもね、私の父ですから。
長いなー、一つの話なのに長いなー。でも書いておきたかったんですよ。誰に読まれなくても。42年間の感謝を込めて。